創業者の想い。
音楽教師として着任したここ新城市(旧新城町)で、
当時としては高嶺の花であったピアノを奏で、
女学生たちに音楽の魅力を伝えておりました。
しかし終戦も間近だった昭和20年8月7日、
国内最大級であった豊川の軍需工場への
大規模な爆撃により、学徒動員で召集されていた
多数の教え子を亡くすことになります。
自分が無傷で生きながらえたことへの
自責の念からか、戦後教壇に立つことはなく、
「これからは人を癒す仕事がしたい」と
口にしていたその数年後、桜の咲く川のほとりに
静かな旅館を始めました。
おそらくいつもその瞳の向こうにあったのは、
大切な教え子たちと共に歌った
あの日の想い出であったろうと思います。